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長沼町の歴史・昭和21年~昭和30年(1946年~1955年)

昭和21年(1946年)

  • 気温順調にして9月中旬に早くも新米出荷米買出人が都市、炭鉱、漁村より殺到し横流米値急騰する。
  • 地方制度改正により従来村長が議長であったものが村会議員より選任することになり、かつ、副議長をおくこととなる。(議長に高田源蔵(阪正太郎と同点のため抽選)副議長荒井三太郎)(10月15日)
  • 長沼村村議会会議規則を定める。(定例会を2,4,6,8,10,12月)の年6回と定める(12月6日)
  • 8月長沼警防団組織を変更し、消防団第一、第二、第三分団結成し第三分団庁舎及び自動車ポンプ1台を購入配置する。

昭和22年(1947年)

  • 地方自治法改正により村長選挙行われ、阿達忍当選する。(4月7日)
  • 役場の機構、総務課、産業課、経理課、厚生課、土木課、出納係に改組する。
  • 南北に役場出張所開設する。(10月)
  • 省営自動車(JRバス)長広線の営業を開始する。(長沼-北広島駅-白石駅-札幌駅所要時間2時間30分、料金大人7円1日3往復常に満員)
  • 村において開拓事業を代行、東3線北5番地に開拓研修所設置、本年入植者31戸(香川開拓22戸入る)馬追開拓群馬開拓及び富士戸等で火薬を用い抜根作業を行う。(本年開拓実績、長都41町1反、馬追4町1反、西南部4町3反、富士戸3町、散在12町5反、計65町歩、国営事業開墾付帯工事明渠排水明年度から延6,241メートル)
  • 部落会30ヵ区となり、市街地は7ヵ区に分かれる。
  • 今年農地を売渡した者355戸、開放を受けた者1,128戸(約3,300町歩)
  • 本年から町道補修のため道路品評会はじまる。(以後昭和46年(1971年)まで続けられる)

昭和23年(1948年)

  • 産米供出及び超過供出高全国一の成績をあげる。
  • 長沼開拓農業協同組合設立される。(7月27日)(組合員55名)
  • 北海道厚生連長沼厚生病院開設される。
  • 第六小学校を西長沼小学校と変更する。(4月1日)
  • 農地解放、地主334名、小作403名、面積1,570町3反歩。
  • 長沼村農業共済組合設立される。
  • 長沼村農業協同組合設立される。(4月14日)
  • 北長沼農業協同組合設立される。(7月19日)
  • 南・北・中・新制中学校校舎建築のため村民より6百万円の寄付分担金をうける。

昭和24年(1949年)

  • 新制3中学校の新校舎相ついで完成する。
  • 市街地商店街漸く活況をとり戻し、料飲店等開店するもの多くなる。第一回成人式行われる。
  • 開拓計画面積長都1,773町、西南261町樹立。
  • 中央長沼中学校新校舎落成式行う。(9月)(分校廃止)
  • 北長沼中学校校舎第一期工事完成する。(9月)
  • 空知信用金庫長沼出張所開設される。
  • 農林省作物報告事務所新築される。

昭和25年(1950年)

  • 小史 戦後最大の水害に見舞われた反面無水害地帯は豊作であった。
  • 小史 厚生病院村営となる。
  • 小史 北厚生連病院を移管、長沼村国民健康保険病院開設する。(病院増築146坪余)
  • 小史 役場庁舎修繕のため中央小学校を仮庁舎とする。
  • 小史 都市計画指定町村となる。
  • 小史 西南小学校校舎完成する。(翌昭和26年1月1日創立)
  • 小史 南長沼中学校落成式行う。(12月5日)
  • 小史 食糧事務所及び作報事務所の落成式挙行する。(12月23日)
  • 小史 長沼中央小学校校舎東側に新グランド完成する。
  • 小史 中央小学校校舎増築、南中学校校舎第一期、北中学校校舎第二期工事いずれも完成する。
  • 小史 市街地道路溝完成する。
  • 水害状況
    7月31日~8月1日大豪雨となり(雨量129.3ミリ)農地浸水1,575町歩、家屋被害455戸、馬追運河1時間に2メートル5センチ増水し西長沼町地帯及び舞鶴地区10日間滞水する。

昭和26年(1951年)

  • 小史 昭和25年豊作の後をうけて村政全般にわたり戦後第一次の復興期を迎え、新制教育、病院の施設はほぼ整う。
  • 小史 西南小学校落成式行う。(1月20日)
  • 小史 中央小学校落成式行う。(2月20日)
  • 小史 国保病院落成し開院式挙行する。(同病院にレントゲン価格80万円設備した(9月14日))
  • 小史 村議会は昭和27年1月1日から長沼村に町制施行方決議し北海道知事に申請する。(10月28日)
  • 小史 第二小学校改築落成式行う。(12月24日)
  • 小史 開発局の設置に伴い土木現業所が分離して錦町に移転し、従来の事務所は札幌開発建設部長沼出張所となる。
  • 小史 昭和24年の土地改良法施行に基き、長沼及び南長沼土功組合は土地改良区と変更される。
  • 小史 戦後初めて湯屋「亀の湯」が開業する。
  • 小史 空知信用金庫、信用金庫法に基き空知信用金庫長沼支店となる。

昭和27年(1952年)

  • 小史 町制施行(1月1日)、月刊長沼広報発行する。吉川鉄之助の碑建立、記念式典盛大に行う。
  • 小史 町章決定する。(5月9日第一回目)
  • 小史 中央中学校屋体完成する。(9月)
  • 小史 舞鶴小学校及び屋体落成式行う。(12月15日)
  • 小史 第二小学校教室を屋体に改築完成する。
  • 小史 警察、土木現業所庁舎新築完成する。(5月31日)
  • 小史 長沼町広報紙発行する。(4月)
  • 町制施行祝賀関係
    9月12日中央中学校体育館で挙行する。(招待者351人、内町外141人、長沼音頭作詞入選者小池豊子同小唄小原四郎、補作細田義行を含む)、感謝状17人、表彰状(自治功労者15人、教育3人、治安5人、社会事業3人、産業12人、開拓10人、節婦6人、孝子1人、永年勤続20人等95人、長寿賞、山谷明子93才、八房為三郎91才の二人)
  • 町制施行祝賀関係
    長沼音頭、小唄発表会、児童の旗及びちょうちん行列、花自動車行進、自治文化展覧会、優良農機具展示会、青年芸能大会、輓馬競争(幼駒運動場)、野球大会、慰安映画会、音楽会、南空知青年角力大会など賑やかに行われ開町以来の人出をみる。

昭和28年(1953年)

  • 小史 冷害のため水稲生育障害をうけ9月19日早くも霜害予防を行う。
  • 小史 市街地区水道完成し、年末給水をはじめる。
    この年運河を水源とする上水道完成し、12月給水をはじめる。(給水人口2,100人、配水量1日25トン、水道料4人まで300円、一人増ごとに50円加える)
  • 小史 南北新制両中学校屋体落成式行う。(南中12月5日・北中12月6日)
  • 小史 公営住宅、はじめて建設する。(現曙町地区、5棟10戸、家賃2,000円)
  • 小史 長沼開拓農業協同組合は南長沼開拓農業協同組合の二つに分れる。
  • 小史 中央バス西1線経由栗山間の運行を開始する。

昭和29年(1954年)

  • 小史 この年苗立ち悪く冷夏、旱魃に加えて台風15号が重なり農作物を初め家屋等大きな被害をうける。
  • 5月10日 暴風、豪雨降雹により、温冷床莫大な被害をうけ、他町村に苗を求める。
  • 9月26日 台風15号襲来被害を与える。(同28日緊急臨時町議会を開き対策を立てる)災害救助法適用される。(全壊198戸、半壊262戸)
  • 農家一戸当所有面積平均3町4反強(全町総面積田畑合計8,424町歩)
  • 北海道銀行長沼支店旧拓銀支店を継承する。

昭和30年(1955年)

  • 小史 この年夏季高温により水稲大豊作(11万4千石余)なるも南長沼土地改良区幹線用水路、豪雨によりケノフチ川決壊し遠軽開拓地区に溢れはん濫し収穫皆無となる。
  • 小史 国保病院焼失(1月20日)
  • 小史 町議会議員定数26人を20人に減員する。
  • 小史 農村有線放送設備はじまる、この年第六区完成する。
  • 小史 第三小学校舎はじめてブロック建築で改築する。
  • 小史 長沼小屋体、はじめて鉄骨を用いて着工する。
  • 小史 運河橋永久橋として架替完成する。

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